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似島ってどんな島?

似島は、広島港より南に約3km、フェリーで海上20分という近距離にある島です。 似島の代名詞でもある「安芸小富士」は、広島市民に最も親しまれている山です。 似島には一年を通して魚釣りや山登り、民宿などに訪れる人も多く、時代とともに家族ぐるみの格好のレクリエーションの場所として、また、小・中学生の自然観察の場所として、広く市民に利用されています。そして、歴史を辿る平和学習では、広島の「第二の聖地」として修学旅行など全国各地から多くの人が訪れます。最近特に多く見られるのが中高年のハイキングです。 登頂約1時間のコースで瀬戸の大パノラマを楽しんでいます。

似島の由来と安芸小富士(あきのこふじ)

似島の由来については、統一された正確な記録はありませんが、歴史的文献等の呼称では、「見の島」「二島」「箕島」「二ノ島」「荷の島」「似ノ島」など、いろいろ呼び名が変わる中で、現在の「富士山に似た山がある島」が統一視され「似島」になったと伝えられています。
似島の由来の元となっている「安芸小富士」は、江戸時代の漢詩名で、「安芸の国の小さな富士」が、「の」のない安芸小富士(あきのこふじ)となったものです。似島も「の」のない呼び名で、よく違った呼び方をされます。
広島市中区に「富士見町」という現存する町名があります。かつてここには川が流れており、そこに橋が架かっていました。そして、この橋から見る安芸小富士が一番美しい「富士」とされ、「富士見橋」と名付けられました。その後、その辺りを「富士見町」と呼ぶようになったと言われています。今は川も橋もありません。

似島ってどんな島

・似島は、広島市南区内にある島、つまり市内の島です。昭和4年に仁保町の一部として広島市に編入され、昭和8年には似島町として独立しました。(広島市南区似島町) ※市外局番も市内と同じ(082)です。
・似島の人口は、平成27年3月末現在で883人(内:外国人39人)、世帯数は535世帯(内:外国人世帯34世帯)です。この数字には島内2ヵ所の社会福祉施設在住者が入っていますので、実際はこれより小さくなります。人口が最も多かったのは昭和41年3月末の2,953人で、その後、減少を続けています。また、その大部分が西側の家下に密集しているのも特長です。
・似島には信号機はなく、バスもタクシーも走っていません。
・似島の主な産業は海運業(砂利採取運搬)で、以前は全国一の砂利船保有数を誇っていました。現在は四国の家島(えじま)が第一位ですが、かつての活況はないにしても、今でも似島の主産業であることには変わりありません。原爆による市内被災地の完全な無からの復興・発展も、似島の砂利船が大きく貢献しました。また、戦後、全国的な規模で就業先を求めたことが、似島を支える基盤を作ったと思われます。
・似島はカキ養殖も盛んに行われており、現在島内に4軒、他地区に2軒のカキ業者があります。似島周辺にはおよそ250のカキ筏が島を取り巻くように連なっています。これは似島が、広島の川から流れ出る淡水と海水とが混ざり合う、丁度よい場所に位置しているからです。つまりカキ養殖には最適の場所だということです。「広島カキ」の中でも、「似島カキ」と名付けるほど良質のものを生産しています。
・漁業は、戦後イワシ網漁が活況を呈した時代もありましたが、今は伝統的な漁法のみで水揚げしています。出荷量はそれほど多くありません。平成14年4月現在で組合員は37人、この中にはカキ業者等も入っており、実際の専業者は10人ほどです。漁は夫婦単位で行い、底引き網・刺し網・一本釣り・タコツボ漁が行われています。漁種はチヌ・カレイ・アイナメ・メバル・タイ・カワハギ等で、冬場の底引き網では、ナマコ漁が盛んです。
・似島の農業は、高齢化などにより衰退の一途を辿っています。戦前は50戸を数えた専業農家も、現在は数戸しかありません。似島の農業が最も活況を呈したのは、戦後の食料欠乏期で、南北二つの山頂近くまで段々畑を開墾して、主に女性が専念していました。とりわけサツマイモ・スイカ・トマトの生産では、広島中央市場での声価を高め、市街地から船を仕立てて買い付けに来るほどだったと言います。昭和35年頃から温州ミカンの植え付けが本格的になりましたが、その直後から海運業が活況を呈し始め、全国的な過剰生産とも相まって、これも衰退していきました。現在は、高齢化も伴って自家消費のための栽培がほとんどです。
・似島は、世界で初めて被爆した「ヒロシマ」が忘れてはならないキズ跡と、さらに、戦争の加害者としての遺跡を残しています。明治・大正・昭和と三代にわたって、海外の戦場から傷つき疲れ帰国してきた兵士の検疫所として、何千何万の若者を迎え入れた桟橋や、弾薬庫などが今もなお残っています。また、敗戦が濃くなった昭和20年8月6日には、広島に投下された原子爆弾による犠牲者が多く運び込まれ、治療の甲斐もなく死んで行きました。今は慰霊碑が静かに物語っています。
※(平和学習参考資料「ふるさと似島」はフェリー船内にあります)

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